神社・寺院
鹿児島県曽於市末吉町に鎮座する住吉神社(すみよしじんじゃ)を参拝した。御祭神は底筒之男命(ソコツツノオノミコト)・中筒之男命(ナカツツノオノミコト)・表筒之男命(ウワツツノオノミコト)。住吉三神である。 檍原の伝承地 境内をあるく 姥石 島津…
檍神社(あおきじんじゃ)は鹿児島県曽於市末吉町南之郷に鎮座する。境内からは東方向へ視界が広がり田園風景が遠くまで続いている。この一帯は古くから「檍原(あはきがはら、あおきがはら)」と呼ばれている。 檍神社と檍原 『古事記』には、イザナギノミ…
平松神社(ひらまつじんじゃ)は鹿児島市吉野町の竜ヶ水(りゅうがみず)に鎮座する。御祭神は碧空巌岳彦命(あおぞらいずたけひこのみこと)。島津歳久(しまづとしひさ)のことである。前身を心岳寺(しんがくじ)といい、島津歳久の菩提寺であった。 島津…
鹿児島県北部の山間に「湧水町」という自治体がある。2005年に吉松町と栗野町の合併により発足したもので、湧水が多い地域であることから新町名もつけられている。このあたりは霧島連山の西麓に位置し、山々が蓄えた水が湧出する。湧水町内では栗野(くりの…
桜の季節の城跡の写真を撮っておこうかと思い、鹿児島県姶良市にある帖佐館(ちょうさやかた)・平山城(ひらやまじょう)・岩剣城(いわつるぎじょう)・蒲生城(かもうじょう)にいってみた。見頃はちょっとすぎている感じで、花びらが落ちて地面をピンク…
花満開であった。精矛神社(くわしほこじんじゃ)を参拝した。再訪である。 精矛神社は鹿児島県姶良市加治木に鎮座する。御祭神は精矛厳健雄命(クワシホコイヅタケヲノミコト)だ。島津義弘(しまづよしひろ)公である。 島津義弘は関ヶ原の戦いから生還し…
すごく遠い。行くにはけっこうな覚悟が必要だ。ここは離島を除く日本列島の最南端。 佐多岬は鹿児島県肝属郡南大隅町にある。車を走らせて南下していくうちに、植物の感じが亜熱帯性のものにかわる。陸続きなのに、見える景色は日本じゃないみたいなのだ。 …
戦国島津氏は島津忠良(しまづただよし、島津日新斎、じっしんさい)にはじまる。もともとは分家のひとつの相州家の当主であったが、嫡男の島津貴久を本宗家の後継者に擁立する。そして、一族間の抗争を勝ち抜いて覇権を握った。 島津忠良(島津日新斎)は薩…
宮崎県南西部から鹿児島県北東部にかけて広大な盆地が広がっている。都城盆地は南北約30km・東西約25㎞もの規模があり、2市2町(宮崎県都城市・三股町・高原町、鹿児島県曽於市)にまたがる。 この都城盆地を統治したのが、島津一族の北郷(ほんごう)氏であ…
伊作城(いざくじょう)跡へもう一度いってきた。場所は鹿児島県日置市吹上町中原。島津氏支族の伊作氏が拠点とした城だ。 ここは戦国大名としての島津氏のはじまりの場所でもある。伊作城で生まれた島津忠良(しまづただよし)は、分家の生まれでありながら…
どっしりと威厳のある雰囲気の神社だ。無骨なたたずまいで、境内には静かな時間が流れている。 精矛神社(くわしほこじんじゃ)は鹿児島県姶良市加治木町日木山にある。御祭神は「精矛巌健雄命(クワシホコイヅタケヲノミコト)」。島津義弘(しまづよしひろ…
帖佐(ちょうさ)は大隅国の西の端に位置する。場所は現在の姶良市姶良地区(旧姶良郡姶良町)のあたりだ。交通の要衝であり、薩摩国との国境にも近く、たびたび戦の舞台となった。 姶良市鍋倉にある平山城(ひらやまじょう)は帖佐を代表する山城である。別…
峻険な山が、街並みの中でひときわ存在感を放つ。それが岩剣城(いわつるぎじょう、岩剱城、岩劔城)である。その名がピッタリの鋭く屹立した山城なのだ。 場所は大隅国帖佐郷平松(鹿児島県姶良市平松)。白銀山(しろかねやま)の尾根の先端にあって、三方…
鹿児島市と姶良市方面とをむすぶ国道10号の海沿いの道。平松神社(ひらまつじんじゃ)はその途中にある。ここを車で通過する際に、なんだか気になるのだ。 道路から見える平松神社のノボリ旗 天正20年7月18日(1592年8月25日)、島津歳久(しまづとしひさ)…
島津(しまづ)氏の歴史は12世紀末より始まる。初代は惟宗忠久(これむねのただひさ)といった。南九州に得た所領にちなんで「島津」を名乗りとした。 島津忠久(惟宗忠久)の出自については諸説あり。確かなことはよくわかっていない。 公式発表は「源頼朝…