日向三代(ひむかさんだい)の陵(みささぎ)はすべて鹿児島県にある、ということになっている。治定されたのは「可愛山陵(えのみささぎ、えのさんりょう)」「高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ、たかやさんりょう、たかやさんじょうりょう)」「吾平山上陵(あいらのやまのえのみささぎ、あいらさんりょう、あいらさんじょうりょう)」。これらはまとめて「神代三陵(じんだいさんりょう)」とも呼ばれている。
神話の時代のものが現代に伝えられているというのは、不思議な感じがする。しかも、管轄しているのは国である。宮内庁が管理しているのだ。なんでそうなったのか? そこのところに切り込んだ一冊が、『明治維新と神代三陵 廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道』である。
著者の窪壮一朗(くぼ そういちろう)氏は鹿児島県南さつま市大浦町で農業を営んでいる。文部科学省の官僚から田舎暮らしに転身した、という経歴の持ち主でもある。現在は「南薩の田舎暮らし」の屋号で事業を展開。農産物・加工品などのインターネット販売も行っていて、こちらで『明治維新と神代三陵』も購入可能だ。
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2022年6月現在、宮内庁が管理する陵は188ある。墓・陵に準ずるもの・髪歯爪塔・陵墓参考などもあわせて合計899にもなる(数字は宮内庁ホームページより)。その中に神代三陵も含まれている。
『明治維新と神代三陵』では、いかにして神代三陵が治定されたのか、そこにある政治的背景、思想史や宗教史の観点も交えながら検証していく。
神代三陵とは
日向三代とはニニギノミコト(瓊瓊杵尊、邇邇藝命)・ヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊、日子穂穂手見命)・ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト(彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊、日子波限建鵜葺草葺不合命)の三柱。天皇家につながる系譜である。
ニニギノミコトの陵は可愛山陵に治定されている。場所は薩摩川内市宮内町。御拝所は新田神社(にったじんじゃ)の本殿の背後に位置する。神亀山(しんきさん)と呼ばれる山が陵墓とされ、域内はほぼほぼ新田神社の境内となっている。平野の中に忽然と盛り上がった神亀山は、古墳のようにも見える。
ヒコホホデミノミコトの陵は高屋山上陵に治定。場所は霧島市溝辺町。鹿児島空港近くの国道沿いに参道入口があり、長い石段を登ると御拝所がある。山頂の円墳が陵であるという。
ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトの陵とされるのは、吾平山上陵である。場所は鹿屋市吾平町。参道は姶良川(あいらがわぞい)の森の中に続く。陵は岩窟の中。ここには2つの塚が並んでいるという。ひとつは后のタマヨリビメノミコト(玉依姫命)のもの。
神代三陵は明治7年(1874年)に治定された。なお、候補地は宮崎県にもあり、これらは「御陵伝承地」「御陵墓参考地」とされている。
鹿児島藩(薩摩藩)では白尾国柱(しらおくにはしら)が神代三陵を研究し、寛政4年(1792年)に『神代三陵考』を著している。その後、島津重豪(しまづしげひで、8代藩主)は白尾国柱にさらなる調査を命じ、藩をあげて研究に取り組んだ。
可愛山陵と吾平山上陵の治定については、白尾国柱の説が採用されている。高屋山上陵については、白尾国柱は大隅国内之浦(鹿児島県肝属郡肝付町)の国見岳であるとしていた。明治政府の治定の際に、溝辺の候補地のほうが選ばれた。そのいきさつについても『明治維新と神代三陵』で解説されている。
政治的な事情から
『明治維新と神代三陵』の構成はつぎのとおり。
まずは、江戸時代の山陵研究の変遷から取り上げる。17世紀末頃から松下見林(まつしたけんりん)・本居宣長(もとおりのりなが)・蒲生君平(がもうくんぺい)などによって陵墓の研究が行われるようになった。そして、幕末から明治維新にかけて、天皇陵を治定しようという動きがおこる。日本中には膨大な数の古墳があるが、その中の一部が天皇陵とされた。
天皇陵を特定していき、だんだんとそこに政治的な意義がのっかってくる。わかりやすいところでは、天皇家の権威づけである。
そして、幕府が天皇陵の治定を進め、明治政府もこれに続いた。明治維新では国の仕組みががらりと変わる。思想や宗教に対する国のあり方も激変する。例えば、仏教を廃しようという動きもあった。廃仏毀釈は鹿児島県ではとくに激しく、寺院はことごとく打ちこわされている。山陵治定もそんな宗教政策の中にあった。また、明治政府の宗教政策には、田中頼庸(たなかよりつね)など鹿児島藩(薩摩藩)出身者が大きく関わっている。
ほかにも政治的な事情がからむ。島津久光の機嫌取りも影響している、という説も本書では挙げている。
神代三陵の治定には、いろいろな要素が複雑に絡み合う。本書では丁寧にときほどいてくれる。
神話は神話のままでいい
「確定させることが誤り」という言葉が本書に中に出てくる。同感である。
神話というのは、伝承にもとづく。いろんな土地にいろんな説話が残っていたりする。一方で、私たちが知りうる日本神話は、『古事記』や『日本書紀』によるもの。記紀も編纂時には政治的意図が多分に盛り込まれている。改変されたこと、抹消されたこともあるだろう。
神話の真実はわからない。
それなのに「ここだ!」と結論付けるのは、そもそも不可能なのである。さらに政治的な事情が絡むことで、なんだかおかしなことになってしまう。
だからといって「ここじゃない!」と反論するのも、また違う。宮内庁治定地も参考地も、これら以外の異説の地も、すべて大事にするべき聖地である。それぞれに、何かしらの伝承が残っていたりもするのだから。
専門的な内容ながら、本書は読みやすい。「こうなった理由」は「こんなことがあったから」と因果関係がよく整理され、「なるほど」と納得させられる。また、神代三陵をとおして、近代史を理解するうえでのヒントをたくさん得られるようにも思う。
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