ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

姶良脇元の白濱神社、参道には巨木が立ち、目の前には鹿児島湾

国道10号は鹿児島湾岸を通っている。鹿児島市と姶良市とをつなぐ主要道路である。この海沿いの道はとても景色がよい。鹿児島湾と桜島を見ながら走る。陸地側に姶良カルデラのカルデラ壁が続いている。

この道を行き来する際に白濱神社(しらはまじんじゃ)の看板が目に入る。

線路の向こうに神社がある

よく目立つ白い看板、鳥居も見える

 

その存在はなんとなく気になっていて、「いつか寄ってみよう」と思っていた。でも、なかなかその機会は訪れない。というのも、意識せずにここを通ると「あ、白濱神社だ」と思ったつぎの瞬間、通り過ぎているのだ。

で、「今日こそは白濱神社に寄るぞ」と思いながら車を走らせる。お詣りしてみると、そこはとても素敵が場所だった。

 

 

海辺の駐車場へ

白濱神社は鹿児島県姶良市脇元に鎮座する。このあたりは「白浜」という地区で、その地名のとおりちょっとした浜がある。

国道10号沿いの海側に大きめの駐車場がある。そこに入る。駐車場から白濱神社へは交通量の多い道路を横断する必要があるが、押しボタン信号もあるので安心して渡れる。駐車場にはけっこう車が止まっていた。釣り人が多いみたい。

鹿児島湾と桜島とカルデラ壁

駐車場より海岸線を見る

 

この駐車場も写真を撮るにはいいスポットだ。鹿児島湾が広がる。南に目を向ければ桜島、北のほうには霧島連山も見える。

広がる海と連なる山々

鹿児島湾(姶良カルデラ)と霧島連山



 

線路を渡って参道へ

横断歩道を渡り、さらにJRの線路にのぼる。ここには踏切がないので、左右をよく確認して渡るべし。

参道口からの風景もなかなかいい感じ。

「白濱神社」の看板と線路と国道

参道口より海のほうを見る

 

鳥居はけっこう新しめだろうか。でも、石段は古そうな感じだ。きれいに手入れされていて、地元で大事にされていることがうかがえる。

石段をあがって鳥居をくぐる

参道入口

 

鳥居の近くには巨木がそそり立つ。タブノキとのこと。すごく存在感があるのだ。

鳥居と御神木

鳥居に覆いかぶさるように枝を広げる

巨木

タブノキがどっしりと

 

石段を少しのぼると朱色の社殿がある。

石段と社殿

参道をのぼっていく

朱色の社殿

参詣する

 

石段の上から振り返ると、タブノキの枝が境内を覆い隠しているような感じ。この光景が印象的だった。

白濱神社の境内

巨木の向こうに光る海

 

 

由緒は詳らかならず

御祭神は天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・蛭子命(ヒルコノミコト)・事代主命(コトシロヌシノミコト)。

参道口の説明看板によると、御神徳は「学業成就」「受験成功」「入試合格」「出世開運」「厄除」「豊漁」「商売繁盛」「諸産業繁栄」「縁結び」「航海安全」とのこと。


由緒については情報が見つからず。


『姶良町郷土誌』によると、天文10年(1541年)に入来院重朝(いりきいんしげとも)が興行したという棟札、永禄3年(1560年)に島津渓久が造立したという棟札、年月不知の島津藤原年久が造立したという棟札があるとのこと。

この情報をもとにすると、創建は天文10年以前ということになる。

なお、入来院重朝は入来院氏12代当主であろう。天文10年当時は入来院(鹿児島県薩摩川内市入来町)をはじめ薩摩国中北部に広大な所領を有していた。

「島津渓久」「島津藤原年久」については人物の特定ができない。永禄3年当時は島津貴久(しまづたかひさ)が西大隅を制圧したあとぐらいにはなるが……。


御祭神のヒルコノミコト・コトシロヌシノミコトは、エビス(恵比寿、恵比須)信仰につながる。また、海に近い立地もあわせて考えると、豊漁や航海安全の神として祀られてきたことは容易に想像できる。

もう一柱のアメノコヤネノミコトは中臣氏(藤原氏)の祖神だ。この地との関りはよくわからない。

 

 

<参考資料>

『姶良町郷土誌』
編/姶良町郷土誌改訂編さん委員会 発行/姶良町 1995年