天文21年(1552年)、島津貴久(しまづたかひさ)は任官がなり、幕府からも正式に守護と認められた。だが、領内はまだまだ安定しない。一度は帰順した西大隅の国人たちが、再び叛旗をひるがえすのである。 rekishikomugae.net 島津実久の死 加治木の動乱、再…
カオスすぎる南北朝争乱への序章 南北朝争乱期というのは一筋縄ではいかない。いろんな要素が複雑怪奇に絡み合い、なにがなんだかわからないのである。ややこしいこともあってなのか、学校の教科書なんかでもさらっと流される感じである。歴史好きにとっても…
島津貴久(しまづたかひさ)が本宗家の継承者となった。だが、もともとは分家である島津貴久の台頭に反発して、天文11年(1542年)に13人の一門衆・国衆が反乱を起こす。大隅国の生別府(おいのびゅう、鹿児島県霧島市隼人町小浜)や加治木(かじき、鹿児島…
名著である! ……と思う。当ブログでは島津氏の歴史を扱っているが、記事作りの際にこの本を開くことが多い。そして、欲しい情報がちゃんと見つかるのである。『島津貴久 -戦国大名島津氏の誕生-』では、島津貴久(しまづたかひさ)の生涯を軸に16世紀の南九…
島津氏の覇権をめぐる分家の争いは、相州家(そうしゅうけ)の島津忠良(しまづただよし)・島津貴久(たかひさ)父子が薩州家(さっしゅうけ)の島津実久(さねひさ)を圧倒した。天文8年(1539年)、島津貴久(相州家)が実質的に薩摩・大隅の太守となった…
大口(おおくち)は薩摩国の北辺である。肥後国・大隅国・日向国と国境を接し、幾度も激戦の地となった。 大口城(おおくちじょう)は現在の鹿児島県伊佐市大口里にある。別名に「牛山城(うしやまじょう)」「牟田口城(むたぐちじょう)」とも。中世におい…
伊作城(いざくじょう)跡へもう一度いってきた。場所は鹿児島県日置市吹上町中原。島津氏支族の伊作氏が拠点とした城だ。 ここは戦国大名としての島津氏のはじまりの場所でもある。伊作城で生まれた島津忠良(しまづただよし)は、分家の生まれでありながら…
伊作城(いざくじょう)は、鹿児島県日置市吹上町中原にある。ここは島津支族の伊作(いざく)氏の本拠地なのだが、戦国大名としての島津氏の発祥の地と言える場所だったりもする。 本丸の亀丸城跡 16世紀、一族どうしの争いを制して覇権を握ったのは島津忠…
戦争になったら背後の山(上之山城、うえのやまじょう)にたてこもる。そんな想定で鹿児島城(かごしまじょう、鹿児島市城山町)は整備されている。のちに籠城は実行される。築城から約270年後のことだった。 鹿児島城の駐車場から城山を見上げる 西南戦争の…
鹿児島城(かごしまじょう)は鹿児島市城山町にある。通称を「鶴丸城(つるまるじょう)」といい、鹿児島ではこちらのほうで呼ぶ人が多い。 鹿児島城跡の大手門 江戸時代の島津(しまづ)氏の居城であり、この地で藩政を行なった。現在、城の目の前には鹿児…