藺牟田池(いむたいけ)は鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田にある。直径約1㎞、周囲約4km、面積は約60ha。山上の窪地に水がたまっていて、湖水面の標高は295m。これを標高450m~500mほどの外輪山が囲む。火山活動でできた地形である。
「藺牟田池の泥炭形成植物群落」として大正10年(1921年)に国の天然記念物に指定されている。温暖地で泥炭が見られるのは珍しいのだという。ベッコウトンボなど希少な生き物も生息する。昭和28年(1953年)には鹿児島県立公園に指定。さらに、「ラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)」の登録湿原でもある。
天気の良い週末は、けっこう人が多い。キャンプ場や外輪山の登山道も整備されている。なかなか人気のあるスポットである。
藺牟田池を『三国名勝図会』より
天保14年12月(1844年1月)に発行された地理誌『三国名勝図会』に藺牟田池が絵図入りで紹介されている。現在の様子とくらべてみる。
『三国名勝図会』の詳細はこちら。
「藺牟田」という地名は、池に藺草が生じることに由来するという。絵図を見ると、かつては湖畔に山王社(日吉山王大権現社、ひえさんのうだいごんげんしゃ)が鎮座していた。『三国名勝図会』では「山王嶽(さんのうだけ)」「藺牟田池」「日吉山王大権現社」の順に記事が並ぶ。藺牟田池は「山王の御池」と呼ばれていたとも記されている。
山王岳は外輪山のひとつで、標高は496m。『三国名勝図会』の記事からすると、この山がいちばん重要な感じがする。まず山王岳があり、そしてその麓に池がある、と。
日吉山王大権現社(山王社)は近江国の日吉社(ひえしゃ、日吉大社、滋賀県大津市坂本)より勧請したもので、創建時期は不明。主祭神は大山咋命(オオヤマクイノミコト)である。
明治初期の神仏分離により、日吉山王大権現社は「日枝神社(ひえじんじゃ)」となった。現在の日枝神社は、藺牟田池から東に3㎞ほどの場所(薩摩川内市藺牟田地区コミュニティセンターの近く)にある。明治6年(1873年)に台風で壊れたために湖畔から藺牟田小学校近く(藺牟田池から東に2㎞ほどの場所)へ遷され、さらに明治41年(1908年)に現在地に遷座している。
秦氏との関りがある?
藺牟田池に山王信仰が関わっているというは興味深い。
山王信仰は比叡山(日枝山、滋賀県と京都府の境)にはじまるもので、最澄が開いた天台宗も大山咋神(日吉宮)を守護神とした。大山咋神は開墾や治水の神で、渡来系氏族の秦(はた)氏との関わりが深い。ちなみに最澄は渡来系氏族の三津(みつ)氏だとされる。
山王社の勧請が平安時代以前だとするなら、この近隣の開発に秦一族が絡んでいることも考えられそうだが……どうだろう?
竜石まで行ってみる
外輪山には「竜石(たついし)」と呼ばれる場所がある。これには「竜が石に姿を変えた」という伝説もある。湖畔からも大きな岩が確認でき、なかなかの存在感である。竜石は古くから御神体として信仰されていたのではないかと思われる。竜石があり、そこに山王信仰が重ねられたとも考えられそうだ。
竜石の近くまで車でいける。藺牟田池の駐車場から、祁答院生態系保存資料施設アクアイムの裏手の道に入る。
道なりにいくと湖畔に出る。そして、すぐに分かれ道。山に向かう林道に入る。落石が多いので、道を確認しながらゆっくり進もう。
しばらく登ると分かれ道。「竜石方面」へは左に入るよう指示があるが、真っすぐ進む。竜石への登山口は2つある。下からの登山道からは距離があり、時間も体力もだいぶ削られるのだ。こちらの登山口ではなく、林道奥にある山頂近くの登山口からのほうが行きやすい。
細い林道をしばらく上がっていく。もうひとつの竜石登山口に到着する。車を停められるスペースもある。階段から登山道へ。
登山道は傾斜がきつい。「引き返そうかな」とちょっと心が折れそうになるが、距離はそれほどでもない。撮影をしつつで、約8分で竜石に到着する。標高は460m。
祠があって、大きな岩がある。その先にもうひとつ大きな岩があり、これが竜石である。眼下には池も見える。高い!
竜石の下側にまわり込む道もあるが、ちょっと怖そうなので無理はしなかった。
山王岳の麓の環状列石
山王社があったと思われる場所へ。湖畔沿いの道に「瑞奥寺跡」「山王嶽環状列石」の文字のある標柱があった。瑞奥寺の詳細はよくわからないが、山王社と関連のある寺院だろうか。そして、環状列石もかなり気になるのである。
看板にしたがって山中に踏み入る。すぐに、瑞奥寺跡の石塔群があった。さらに登って環状列石へ。
中心となる石が立てられ、その根元にやや小さめの石を並べて支えている。これが6基ある。直径は1.4m~2mほど。
考古学上これを環状列基あるいは支石墓と呼んでいるが、年代や造立趣意は不明である。おそらく古代人の祭祀遺跡と思われる。 (現地の説明看板より)
これが何なのかは、わかっていないのだ。
<参考資料>
『三国名勝図会』
編/五代秀尭、橋口兼柄 出版/山本盛秀 1905年
『祁答院町史』
編/祁答院町史編さん委員会 発行/鹿児島県薩摩郡祁答院町 1985年
ほか