ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

東下の田の神/鹿児島市東佐多町

鹿児島市の北部に東佐多町というところがある。江戸時代には薩摩国鹿児島郡吉田郷東佐多村であった。この地にある鎮守神社に、タノカンサァ(田の神)がいる。「東下(ひがしもと)の田の神」と呼ばれている。 タノカンサァ(田の神)は18世紀以降に島津氏領…

皇子原神社と古墳群、狭野尊(神武天皇)御降誕の伝承地

宮崎県西諸県郡高原町に狭野神社(さのじんじゃ)が鎮座する。狭野尊(サノノミコト、神武天皇)を御祭神とする。この元宮とされるのが皇子原神社(おうじばるじんじゃ)だ。 狭野神社の西側には丘陵地形がある。皇子原(おうじばる)と呼ばれる。この地には…

狭野神社は杉林の参道の奥に、狭野尊(神武天皇)の伝説の地

高原(たかはる)の狭野神社(さのじんじゃ)を参詣した。鎮座地は宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田。小字は「狭野(さの)」という。 鎮座地は高千穂峰(たかちほのみね)の東麓。山頂から5㎞ほど東に位置する。そして、狭野の地には神武天皇の伝説が残っていて…

谷山神社、御祭神は懐良親王、九州の南朝方の最初の拠点は谷山にあった

谷山神社(たにやまじんじゃ)は鹿児島市下福元町に鎮座する。御祭神は懐良親王。14世紀の南北朝争乱期に征西大将軍として九州に入った人物だ。 名前の読みは「かねながしんのう」とも「かねよししんのう」とも。谷山神社では「かねながしんのう」のほうをと…

帖佐の高尾城跡と元稲荷、激戦地の平山城(帖佐本城)の支城

鹿児島県姶良市鍋倉は、かつての大隅国始羅郡(しらのこおり)の帖佐(ちょうさ)のうち。この地には平山城(ひらやまじょう)という山城があった。別名に帖佐本城(ちょうさほんじょう)ともいう。 この平山城跡に向かう山道の途中に、高尾城(たかおじょう…

数奇な運命をたどった島津忠清、その墓標が興国寺跡に埋もれている

鹿児島市冷水町に鹿児島市営の「興国寺墓地」がある。ここにはかつて太平山興国寺があった。興国寺は明治の初めに廃寺となった。その境内はかなりの広さがあり、現在も古い墓石や石造物が残っている。 興国寺墓地(興国寺跡) この興国寺跡に、薩州家(さっ…

霧島東神社【後編】、天之逆鉾/錫杖院跡/神竜泉/天狗堂/祓所/旧参道口

霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)は宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田に鎮座する。高千穂峰(たかちほのみね)の山頂に近く、古代の山岳信仰の雰囲気が感じられる。また、山岳仏教の霊場としても大事にされてきた場所である。 すてきな神社である。【前編】記…

霧島東神社【前編】、山をすぐ近くに感じられる! 高千穂峰の東の霊場

高千穂峰(たかちほのみね)は存在感がある。山容もさることながら、大きな噴火もしばしば。古代から人々が崇める山であり、恐れる山でもある。その東麓に御池(みいけ)という火口湖がある。 御池と高千穂峰 この池の東側に、霧島東神社(きりしまひがしじ…

山久院跡(豊幡神社)と釣璜院跡、日向国庄内に根づいた北郷氏の墓所

島津(しまづ)氏の一族に北郷(ほんごう)氏がある。「北郷」とは日向国島津院(庄内)の北西部。現在の宮崎県都城市庄内町や山田町のあたりである。この地を島津資忠(しまづすけただ)が領したことから、「北郷」を名乗るようになった。北郷氏は江戸時代…

西郷隆盛蘇生の家、鹿児島湾に入水するも助けられる

鹿児島湾岸の国道10号沿いに茅葺屋根の民家がある。江戸時代末期のものが復元されている。ここは「西郷隆盛蘇生の家」と呼ばれている。 国道から線路を挟んで茅葺屋根が見える 安政5年(1858年)、冬の鹿児島湾に西郷吉之助(当時の諱は西郷隆永、のちに西郷…