ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

山田の凱旋門! 日露戦争の勝利を祝して、こんなの建てちゃった

鹿児島県姶良市の山田地区に、やたらと立派な凱旋門がある。明治39年(1906年)3月に山田村兵事会が建設したものだ。前年に日本はロシアとの戦い(日露戦争)で勝利し、これを記念してつくられた。 山田の凱旋門 当時、日本全国で凱旋門が建造された。日露戦…

肥後国の戦火、島津と龍造寺のはざまで/戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃(5) 

天正6年(1578年)11月、島津と大友が激突した。合戦の地は日向国の高城川原(たかじょうがわら、宮崎県児湯郡木城町高城)。「高城川の戦い」または「耳川の戦い」と呼ばれるものである。 島津義久(しまづよしひさ)はこの戦いに勝利する。一方の大友軍は…

イザナギノミコトが禊祓いをした阿波岐原(檍原)、曽於南之郷の伝承地をめぐる

イザナギノミコトは黄泉国(よもつくに)を脱して、『古事記』によると「竺紫日向之橘小門之阿波岐原(つくしのひむかのたちばなのおどのあはきがはら)」へといたる。『日本書紀』では「筑紫日向小戸橘之檍原」と記される。そして、身をすすぎ清め、その際…

曽於末吉の佐久良谷、セオリツヒメの住まうという聖域

「佐久良谷(さくらだに)」は鹿児島県曽於市南之郷の山奥にある。「桜谷」とも書く。こちらを訪問した。 この地は『三国名勝図会』で知った。絵図がやたらと目をひく。なんだか強烈な印象を受けるのだ。同書の解説によると「神代の舊跡」だという。 『三国…

市来湯田の稲荷神社をお詣りした、創建したのは島津忠久の母!?

稲荷神社は島津氏の氏神である。そのひとつが市来湯田(いちきゆだ、鹿児島県日置市東市来町湯田)に鎮座する。境内は重厚な雰囲気である。かなりしっかりとした造りで、大事にされてきたことがうかがえる。 承久3年(1221年)に丹後局(たんごのつぼね)が…

西田橋と高麗橋と玉江橋、鹿児島の城下町の風情をつたえる

鹿児島市にある石橋記念公園・祇園之洲公園には、アーチの美しい石橋がある。これらは19世紀半ばにつくられたもので、もともとは甲突川(こうつきがわ)に架けられていた。上流から玉江橋(たまえばし)・新上橋(しんかんばし)・西田橋(にしだばし)・高…

『関ヶ原 島津退き口 -義弘と家康―知られざる秘史-』(著/桐野作人)、撤退戦の壮絶さを生々しく描き出す

「島津の退き口(しまづののきぐち)」。慶長5年9月15日(1600年10月21日)の関ヶ原の戦いの一場面である。島津義弘(しまづよしひろ)の「戦場の鬼」っぷりを印象づけるエピソードのひとつだ。 島津義弘は敗軍の将となり、戦場の真っ只中に取り残された。手…

祇園之洲砲台跡、大英帝国の艦隊と激しく撃ち合った!

文久3年(1863年)、薩摩藩(鹿児島藩)はイギリス艦隊と戦った。薩英戦争である。薩摩藩は領内に砲台場を整備していた。そのひとつが祇園之洲(ぎおんのす)の砲台場である。鹿児島市清水町にある。ここは激戦地となった。 現在、祇園之洲砲台跡は祇園之洲…

鹿児島神社(宇治瀬大明神)をお詣り、桜島と深く関わる鹿児島の地主神

鹿児島神社(かごしまじんじゃ)は鹿児島市草牟田に鎮座する。御神号は宇治瀬大明神(うじせだいみょうじん)。「宇治瀬様(うってさぁ)」とも呼ばれている。 由緒をたどると、かなり古い神社のようだ。ここは南九州の古代の信仰もちょっと感じられる。「鹿…

肝付一族についてまとめてみた、南九州に伴氏が根付き、そして枝葉を広げた

南九州の歴史を見ていくと、肝付(きもつき)一族の存在感がすごく大きいのだ。その歴史はかなり古い。 支流氏族もかなりある。萩原(はぎわら)・安楽(あんらく)・和泉(いずみ)・梅北(うめきた)・救仁郷(くにごう)・北原(きたはら)・川路(かわじ…