鹿児島県姶良市の山田地区に、やたらと立派な凱旋門がある。明治39年(1906年)3月に山田村兵事会が建設したものだ。前年に日本はロシアとの戦い(日露戦争)で勝利し、これを記念してつくられた。
当時、日本全国で凱旋門が建造された。日露戦争の勝利は国民の気分をかなり高揚させたようである。現存するものはふたつだけらしい。そのひとつがこの「山田の凱旋門」なのだ。ちなみに、もうひとつは静岡県浜松市にある「渋川凱旋門」で、こちらはレンガ造りだ。
「山田の凱旋門」は石造りで、かなり重厚な雰囲気である。
凱旋門を見上げる
山田地区公民館の脇を入っていくと、凱旋門がすぐ見える。県道沿いに看板もあって、迷わずに行けると思う。国の登録有形文化財にもなっていて、周辺はきれいに整備されている。
堂々したその姿は、かなりの存在感だ。柱の高さは4.71m、門の幅は4.88m、奥行きは1.6m。鹿児島県内には江戸時代末期にアーチ式の石橋が建造されているが、「山田の凱旋門」にもこの技術が応用されているという。手掛けた石工は「細山田ケサガメ」という人物らしい。
「凱旋門」の揮毫は、陸軍中将の大久保利貞(おおくぼとしさだ)によるもの。この人物は大久保利通の従兄弟にあたる。日露戦争では少将として出陣している。退官後は霧島神宮の宮司となった。
向かって右側の門柱には「明治卅七八年日露戦役記念」、左側の門柱には「明治三十九年建設 山田村兵事会」とそれぞれ刻字がある。
アーチを下から見る。門の厚みもけっこうある。
石段をのぼってみる
門をくぐると、石段がある。この場所は、来福寺の跡地である。
階段脇に石碑。「故 海軍大将 日高壮之丞 記念碑」とある。日高壮之丞(ひだかそうのじょう)は日露戦争直前の常備艦隊司令長官であった。開戦後の連合艦隊司令長官にそのまま就任すると見られていたが、起用されたのは東郷平八郎(とうごうへいはちろう)であった。その後、明治41年(1909年)に日高壮之丞は海軍大将となっている。
石段をのぼって振り向く。ここからの眺めもいい。
さらに石段がある。のぼる。けっこう急だ。
この上は招魂社となっている。お堂の後ろには慰霊碑なども並んでいる。もともとは寺の本堂があったのだろうか。また、周辺は墓地となっていて、来福寺のものと思われる古い石造物も散見される。
招魂社も展望スポットだ。天気が良い日は桜島も見える。
<参考資料>
『山田の凱旋門』のリーフレット
発行/姶良市教育委員会
『霧島神宮誌』
編/霧島神宮誌編纂委員会 発行/霧島神宮 2019年
ほか