「大坪の田の神」像を訪問した。場所は、鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田の大坪というところ。山間部の農村である。大坪公民館(ほたるの館)の広場にタノカンサァがいるのだ。
南九州の農村の風景の中には、タノカンサァ(田の神様)の姿がある。18世紀頃から像がつくられるようになったようで、数もかなり多いのだ。
田の神像の詳細については、こちらの記事にて。
大坪公民館(ほたるの館)へは鹿児島県道51号から脇道に入る。山道をちょっと降りていくと田園地帯が広がる。ちょっと高台に公民館があり、道路からもタノカンサァの姿が確認できる。
公民館の広場の台地の際のあたりにタノカンサァがいる。屋根のある場所に置かれている。すごく大事にされている印象を受ける。
石像は田の神舞(たのかんめ)の姿をかたどったもので、きれいに彩色されている。右手にはメシゲ(シャモジ)を持つ。そして稲穂を抱えていた。
稲穂で左手は見えない。どうなっているか確かめようと思ったが、稲穂を崩してしまいそうだったのでやめる。家に帰ってから画像検索にて確認してみたところ、左手は欠損しているようだ。
やさしい感じの顔をしている。人物には髪が見当たらず僧侶っぽい感じもするが、どうだろうか?
田んぼを見回せる場所にいる。この集落は、タンカサァに見守られながら農作業をするような感じに。
後ろ姿。背中には紀年銘もある。天明2年(1782年)に建立されたものとのこと。
「大坪の田の神」の由緒はよくわからない。とりあえず、天明2年(1782年)の製作というところから想像してみる。
天明年間(1781年~1789年)というと「天明の大飢饉」である。田の神像が作られた頃は不作が続いていたと思われる。また、安永8年(1779年)には桜島が大噴火を起こしている(安永大噴火)。桜島はしばらく噴火を繰り返し、農業生産にも影響があったと推測される。
豊作への強い願いが、「大坪の田の神」には込められていることだろう。