丘の上に石像がいっぱい! ここは「高鍋大師(たかなべだいし)」と呼ばれている。
場所は宮崎県児湯郡高鍋町。このあたりの地形は河岸段丘になっていて、段丘の上には持田古墳群(もちだこふんぐん)がある。前方後円墳10基・円墳75基が並び、国史跡にも指定。高鍋大師はその一角にあたる。
なんとここは、一個人が造り上げたものだ。石像たちは手作り感あふれる仕上がり。そのユーモラスな雰囲気は、なんだか妙に魅かれるのである。
丘陵の先端に位置し、高鍋の街並みと日向などをのぞむ。絶景の場所でもある。現在は高鍋町観光協会が管理し、遊歩道がきれいに整備されている。
高鍋大師のなりたち
石像群の製作者は岩岡保吉(いわおかやすきち)氏。石像には「岩岡弘覚」の文字もあり、こちらの名乗りも用いたようだ。明治22年(1889年)の生まれで、昭和52年(1977年)に89歳で亡くなっている。
岩岡氏は昭和3年(1928年)頃から石像を作り始めた。持田古墳群が盗掘者によって荒らされていたことに心を痛めていたのだという。古代の人々の慰霊のために、土地を購入して開山した。
四国霊場八十八カ所巡りをこの地に再現することに始まり、神像や仏像がどんどん増えていった。岩岡氏が手がけたのは約700体。そのうち500体ほどが高岡大師に並んでいる。
※数字などの情報は、高鍋町観光協会に問い合わせて確認したもの。
味わい深すぎる石像たち
冒頭の写真のあたりは、持田古墳群48号墳(長さ約110m、前方後円墳)の前方部にあたる。大きな石像は高さ7mほどだろうか。
小さな鳥居をはさんで右側が「十一めんくわんのん(十一面観音)」とのことで、「昭和三十八年(1963年)十一月 七十五才サク」と刻まれている。直線的な造形の像が多い。字の感じも独特だ。
左側が「十二めんやくし(十二面薬師)」。こちらも「七十五才サク」とある。
ちょっと奥には、大きめの像がもう一体。こちらはアマテラス大神らしい。昭和43年(1968年)の作とのこと。「明治」「百年」「む」「えん」「乙中」「まもれ」といった文字も見える。
こっちはスサノオノミコト。腰に刀を差し、腕組みしている。表情も凛々しいぞ。
「カゼノカミ」とのこと。風神かな?
建物の前にいるのは「正一いいない大神」。稲荷大神か? 四天王(多聞天・持国天・増長天・広目天)を従えている。
小さな像も魅力があふれる。こちらはアマテラスの足元にあったもの。どんな状況なのかはよくわからないが、なんだか楽しそうである。
写真中央は「ためにならんこと見らぬ人」だ。このほかに「言わぬ人」「聞かぬ人」もある。
弘法大師が護符を飲ませて病気を治したという「いざり松」の話を再現したものも。
ほかにも面白い像がいろいろ。
円墳(49号墳)を囲むように像が配置されている。写真左手前は釈迦誕生の「天上天下唯我独尊」だろうか。
石像群からは製作者の情熱がほとばしる! 素敵な場所だ。