ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

Kindle Unlimitedで読む! 歴史関連のイイ本がけっこうあるぞ

「Kindle Unlimited(キンドルアンリミテッド)」は月額定額制の電子書籍読み放題サービスである。Amazonが提供。このサービスでは200万冊以上を読むことができる。 対応端末はKindleやFireタブレットといったAmazonデバイス、スマートフォン・タブレット・P…

下園のモモカンドン(牛神)、南薩摩の古い農耕神らしい

鹿児島県枕崎市妙見町に下園という集落がある。ここの公民館の敷地内に石祠がある。祭祀されているのは「モモカンドン」と呼ばれる神様だ。 モモカンドンは牛神のこと。「モモ」は牛の鳴き声からだろうか。ほかに「モモドン」「ウッジュイドン」「ウイドン」…

日木山里の田の神、笑顔がステキすぎる!/鹿児島県姶良市加治木

タノカンサァ(田の神)は、愛嬌のあるものが多い。鹿児島県姶良市加治木町日木山には、いいカオをしたタノカンサァがいる。「日木山里の田の神」と呼ばれている。 田の神像は南九州では日常風景の中にある。18世紀頃から島津氏の領内(鹿児島県と宮崎県)で…

鹿児島の浄光明寺跡(南洲墓地)、イギリス艦隊の標的となった大寺院

鹿児島の浄光明寺(じょうこうみょうじ)は大きな寺院だった。山号は「松峰山」。現在の鹿児島市上竜尾町にあった。 その跡地は南洲公園として整備。浄光明寺跡というよりは、「南洲墓地(なんしゅうぼち)」として認識している人が多いかも。ちなみに「南洲…

山ノ口の田の神、重富公園の駐車場で見つけた/鹿児島県姶良市平松

鹿児島県姶良市の重富公園の駐車場の一角に並んでいた。「山ノ口の田の神」と呼ばれているそうだ。 ひとつは座像。もうひとつは田の神舞の姿をかたどった立像だ。 駐車場の脇に タノカンサァは、17世紀頃から島津氏領内で盛んに作られるようになったと考えら…

玉繁寺跡(喜入肝付家墓所)、小松清廉(小松帯刀)の父も眠る

玉繁寺(ぎょくはんじ)は鹿児島市喜入町の旧麓(もとふもと)にあった。喜入肝付氏(きいれきもつき)の菩提寺で、一族の墓所がある。 喜入肝付氏は文禄4年(1595年)から明治初頭の版籍奉還まで、喜入の領主であった。薩摩藩(鹿児島藩)の家老も出してい…

加治木肝付氏(喜入肝付氏)、出奔した三男坊の家系は島津家の重臣になる

戦国時代の肝付家というと、肝付兼続(きもつきかねつぐ)・肝付良兼(よしかね)がよく知られている。大隅国肝属郡高山(こうやま、鹿児島県肝属郡肝付町)を拠点に戦国大名化し、大隅半島の大部分を支配下に入れる。島津貴久(しまづたかひさ)・島津義久…