ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

市来の鶴丸城跡にのぼってみた、ザビエルの布教の記録が残る、家老は熱心なキリシタンに

鹿児島県日置市東市来にある鶴丸城(つるまるじょう)跡にのぼってきた。 市来氏と島津氏の激戦の地 城跡と寺院跡と、神社とザビエルと 来迎寺跡、市来氏歴代の墓 鶴丸城の登山道口付近 市来氏と島津氏の激戦の地 「鶴丸城」というと、鹿児島県内では鹿児島…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(2) 後醍醐天皇は諦めない

大混乱の南九州の南北朝争乱の2回目! 「南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1)」では、足利(あしかが)氏の政権樹立まで頃の南九州の状況を取り上げた。鎌倉幕府滅亡、建武政権樹立と崩壊、足利尊氏(あしかがたかうじ)の挙兵と挫折と復活劇と政権樹…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1) 倒幕と建武政権崩壊

鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代へと移り変わっていく14世紀。ふたつの朝廷の対立を軸に、状況は二転三転する。その大まかな流れについては「鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ」という記事を見てほしい。 戦乱は全国に広がり、九州もかなりの乱れっぷりであった。…

鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ

14世紀の日本は混乱の時代である。鎌倉幕府が倒れ、天皇家は分裂し、足利(あしかが)氏でも内部抗争が起こる(観応の擾乱)。めまぐるしく状況が変わる。決着はなかなかつかない。ややこしくてグダグダな展開が続く。ここのところの歴史はわかりにくいので…

東福寺城跡に行ってきた、島津氏が拠点とした海辺の要塞

鹿児島市清水町にある東福寺城(とうふくじじょう)跡に行ってきた。訪問したのは2021年1月某日。現在は、多賀山(たがやま)公園として整備されている。 鹿児島で最初の島津氏居城 東福寺城は、島津氏が14世紀半ばから拠点とした城である。もともとは鹿児島…