樋脇(ひわき)の玉淵寺(ぎょくえんじ)跡にタノカンサァがいた。「本庵(もとあん)の田の神」と呼ばれている。 雨ざらしではなく、大事にされている 鹿児島県のあちこちで田の神像に出くわす。田の神像は島津氏の領内で18世紀頃から盛んに作られるように…
薩摩藩(鹿児島藩)の初代藩主は島津家久(しまづいえひさ)という。もとの名は島津忠恒(ただつね)で、慶長11年(1606年)に改名。徳川家康より「家」の字を偏諱として拝領してのこと。 この島津家久(島津忠恒)は子沢山であった。十六男十六女をもうけた…
鹿児島県道42号沿いに「竹原田(たこいだ)の田の神」の看板を見つける。そこからちょっと登っていける。見上げると、田んぼの端の畔の上にタノカンサァ(田の神像)が立っていた。場所は鹿児島県薩摩川内市の入来のうち。大宮神社(おおみやじんじゃ)から2…
森神社(もりじんじゃ)は鹿児島県志布志市有明町原田に鎮座する。小さな神社なのだが、なんだか気になる存在だ。御祭神は用明天皇。そして物部守屋(もののべのもりや)が創建したとも。なぜ、こんなところに? と不思議な感じがするのである。 森神社へ 物…
島津家久(しまづいえひさ)は天正3年(1575年)4月に上洛し、京に滞在すること1ヶ月以上。その間に名所をかたっぱしから見てまわったようだ。そのことが『中務大輔家久公御上京日記』にも詳しく記されている。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net 『…
鹿児島市喜入町に「宮地(みやじ)」というところがある。地名は神社に由来するものだろう。この地には宮坂神社(みやさかじんじゃ)が鎮座する。 喜入季久が創建、肝付氏も崇敬 参詣する 主馬首一平安代の銘刀 喜入季久が創建、肝付氏も崇敬 旧称は「正一位…
飛諏訪神社(とびすわじんじゃ)は薩摩国木ノ氏(きのうじ、鹿児島県伊佐市大口木ノ氏)に鎮座する。 由緒が面白い。 新納忠元(にいろただもと)が敵方と対陣しているとき、陣中にどこからともなく鎌が飛んできたという。この出来事を吉兆だと新納忠元は喜…
鹿児島県伊佐市は、諏訪神社がやたらとある。Googleマップで調べたところ、伊佐市内の諏訪神社は10社確認できる。また、南方神社(明治時代に諏訪神社から改称)も5社が見つかる。 大口里の諏訪神社は、大口の諏訪神社の中でもっとも規模が大きいと思われる…
日本の古代史を考察するとき、中国の史書が重要な史料とされる。例えば、このあたりの本。 これらに書かれている情報は、興味をそそるものばかりである。 で、中国発の古代の倭国(日本)の情報をコンパクトにまとめた本が、「岩波文庫」にある。重要なとこ…
タノカンサァ(田の神)に鹿児島県内あちこちで出くわす。車で田舎道を走っていて「何かの像があるな」って見つけることがしばしば。で、鹿児島県曽於市大隅町の月野で、大きなタノカンサァと出会った。 こんなのが座っている なお、タノカンサァ(田の神)…