ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

谷山の如意山清泉寺跡、島津大和守久章の大きな五輪塔がある

薩摩国谿山郡福本に如意山清泉寺(にょいざんせいせんじ)はあった。現在の鹿児島市下福元町のうち。古い寺院であったとされ、岸壁には摩崖仏がある。明治の初めに廃寺となり、寺院の遺構が残っている。 そして、寺院跡には大きな五輪塔も。この地で討たれた…

島津家久の上京日記【7】 摂津国に入る、戦の匂いも/天正3年4月8日~4月16日

『中務大輔家久公御上京日記』で島津家久(しまづいえひさ)の旅程を追う。天正3年(1575年)4月半ばのこと、播磨国室津(むろのつ、兵庫県たつの市御津町室津)から摂津国へと入っていく。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net この頃、織田信長が京を…

『かごしま戦国絵巻』(著/岩川拓夫 絵/東雲ののか)、戦国島津氏をユルく解説、シッカリわかる

「戦国時代の島津氏に興味がある! でも、ぜんぜん知らないんだよね……」という人は、この本を読むといいと思う。 『かごしま戦国絵巻』著/岩川拓夫 絵/東雲ののか 出版/南方新社 岩剣城跡の前で かごしま戦国絵巻 作者:岩川 拓夫 南方新社 Amazon 南方…

玉池山日新院跡(竹田神社)、肝付高山に島津忠良を祀る

鹿児島県肝属郡肝付町前田に、竹田神社(たけだじんじゃ)が鎮座する。この地はかつのての大隅国の高山(こうやま)のうちで、肝付(きもつき)氏の本拠地の高山城からも近い。 御祭神は島津忠良朝臣(しまづただよしあそん)。もともとは玉池山日新院という…

母智丘神社にのぼる、山頂には巨石群

母智丘神社(もちおじんじゃ)は宮崎県都城市横市町に鎮座する。「母智丘」と呼ばれる山があり、その周辺は母智丘公園として整備されている。 三島通庸が大改修 長い石段をのぼって 碑名のない記念碑 三島通庸が大改修 御祭神を豊受毘賣神(トヨウケヒメノカ…

島津家久の上京日記【6】 道すがら小早川殿の城を眺めてみたり/天正3年3月26日~4月7日

島津家久(しまづいえひさ)は天正3年(1575年)3月に安芸国の厳島神社(広島県廿日市市宮島町)を参詣。『中務大輔家久公御上京日記』では、その様子を興奮気味に伝えている。 前回の記事はこちら。 rekishikomugae.net 宮島をあとにして、一行は京を目指し…

『三州大乱そして下剋上/南九州戦乱史1』っていう電子書籍を出版してみました

南九州の中世史は面白い! 14世紀と15世紀が熱い! と個人的には思っています。 Amazonのkindleにて、電子書籍を出版しました。南北朝争乱期から島津忠良(しまづただよし)・島津貴久(たかひさ)の下剋上までの情報を中心にまとめました。古代のこともちょ…

市来川上の諏訪神社、石段をのぼると並立鳥居があらわれた

鹿児島県内には諏訪神社(すわじんじゃ)がやたらとある。南方神社(みなかたじんじゃ)と改称したところもある。というわけで、行った先々で諏訪神社(南方神社)と出くわすのである。 そしてお詣りすると、強烈な雰囲気であることが多いように思う。鹿児島…

串木野城(亀ヶ城)は名将と縁あり、島津家久とか島津豊久とか山田有信とか川上久朗とか

串木野城(くしきのじょう)跡は鹿児島県いちき串木野市麓にある。別名に亀ヶ城とも。かつての薩摩国日置郡串木野(櫛木野)のうち。13世紀初め頃に串木野忠道(くしきのただみち)により築かれたとされる。その後、南北朝争乱期に島津氏の支配下となる。 永…

肝付の柏尾山道隆寺跡、蘭渓道隆の開山とされる

柏尾山道隆寺(はくびさんどうりゅうじ)は大隅国肝属郡高山の新富(鹿児島県肝属郡肝付町新富)にあった。場所は高山城(こうやまじょう)跡の近く。雑木林の中に石塔類が残っている。 寛元4年(1246年)に蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が開山したとされ…