ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

島津家久の上京日記【5】 厳島に大興奮!/天正3年3月22日~3月25日

天正3年(1575年)、島津家久(しまづいえひさ)が京へ上る。『中務大輔家久公御上京日記』からその旅程を追う。一行は周防国から安芸国へと入る。そして厳島神社(いつくしまじんじゃ、広島県廿日市市)に到着。参詣の様子を島津家久はやたらと詳しく伝えて…

塚崎の田の神/鹿児島県肝属郡肝付町野崎

出かけるとほぼほぼ出くわすのである、タノカンサァ(田の神)に。鹿児島県内にはかなりの数がある(2000体以上とも)。すっかり風景の一部となっている感じもする。 塚崎の大楠(大塚神社/塚崎古墳群1号墳)を訪問したところ、近くにタノカンサァ(田の神…

塚崎の大楠(大塚神社)、巨木は塚崎古墳群1号墳の上に

「塚崎の大楠(塚崎のクス)」というのが、鹿児島県肝属郡肝付町野崎の塚崎(つかざき)にある。推定樹齢は1300年ほど。国の天然記念物にも指定されている。 巨木がそびえる場所は、なんと古墳の上。塚崎古墳群(つかざきこふんぐん)の1号墳に根付いている…

龍虎城跡(財部城跡)、国境の堅城、庄内の乱の激戦地

龍虎城(りゅうこじょう)は大隅国財部院(たからべいん)にあった山城である。別名に財部城(たからべじょう)とも、北俣城(きたまたじょう)とも。現在の鹿児島県曽於市財部町北俣のうちにある。 財部は大隅国と日向国の国境に位置し、中世より戦いの多い…

島津家久の上京日記【4】 天気が悪い/天正3年3月11日~3月21日

天正3年(1575年)に島津家久(しまづいえひさ)は上京する。『中務大輔家久公御上京日記』によると、同年3月10日に長門国の赤間関(山口県下関市)に至る。関門海峡を越えて九州を出た。その続き。一行は安芸国の厳島神社(広島県廿日市市宮島町)を目指す…

御社神社(五社大明神)、猫の神社? そして肝付氏にふりかかった祟りとは?

御社神社(ごしゃじんじゃ)は鹿児島県肝属郡肝付町新富に鎮座する。もともとは「五社大明神(ごしゃだいみょうじん)」「五社宮」と呼ばれていた。 猫の神社? 討たれた叛逆者とその家族を祀る 「祟り」で何があった? なお、記事中の日付は旧暦にて記す。 …

鍬を持つ田の神/鹿児島県鹿屋市吾平町上名

タノカンサァ(田の神像)は鹿児島県や宮崎県のあちこちで見かける。場所はいろいろだが、神社の境内にいることも多い。今回もそんな一例である。 場所は鹿児島県鹿屋市の吾平(あいら)の八幡神社。この境内の一角でタノカンサァが田園風景を見守っていた。…

大姶良の新八幡宮(八幡神社)、島津元久の産土神

鹿児島県鹿屋市に「大姶良(おおあいら)」というところがある。島津氏の7代当主に数えられる島津元久(しまづもとひさ)は、貞治2年・正平18年(1363年)にこの地で生まれた。大姶良に鎮座する新八幡宮(八幡神社)は島津元久の産土神。こちらを参詣した。 …

島津家久の上京日記【3】 九州を出る/天正3年3月1日~3月10日

天正3年(1575年)の島津家久(しまづいえひさ)の上京の旅程を追う。『中務大輔家久公御上京日記』より。3回目となる今回は、ついに九州を出る。 天正3年3月1日、高良山で歓待される 天正3年3月2日、通行料とられまくり 天正3年3月3日、小石原に至る 天正3…

肝付宮下の桜迫神社(西洲宮跡)、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトと神武天皇の伝承地

桜迫神社(さくらざこじんじゃ)は鹿児島県肝属郡肝付町の宮下(みやげ)に鎮座する。ここは西洲宮(にしくにのみや)の伝承地である。西洲宮はヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト(『日本書紀』では「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」/『古事記』では「天津…