16世紀半ばに、島津貴久(しまづたかひさ)は大隅国蒲生(かもう)を攻めた。この一帯での戦いは「大隅合戦」と呼ばれる。その中で激戦地となったのが松坂城(まつざかじょう)である。場所は鹿児島県姶良市蒲生町米丸。 松坂城跡は城域の一部を歩くことがで…
鹿児島県薩摩川内市の平佐(ひらさ)に、長照山梁月寺跡がある。平佐北郷家(ひらさほんごうけ)の菩提寺である。寺院跡には墓地があり、平佐北郷家の歴代当主の墓が並ぶ。 北郷氏は島津氏の一族で、中世から日向国庄内(しょうない、宮崎県都城市のあたり)…
17世紀以降の島津氏の分家についてまとめてみた。 島津氏にはもともと分家が多い。鎌倉時代から続く歴史の長さに加え、子沢山な当主も多かったりする。そんなわけで、一族の枝葉をいっぱいに広げる。中世から続く家柄もあり、江戸時代に立てられた分家もあり…
のどかな山間の集落である。鹿児島県姶良市の蒲生(かもう)に「高牧(たかまき)」というところがある。そこに面白い雰囲気のタノカサァ(田の神)がいた。「高牧の田の神」と呼ばれている。「ベロ出し田の神さぁ」とも呼ばれる。 タノカンサァ(田の神)は…
鹿児島市の南のほうの谷山(たにやま)には、タノカンサァ(田の神)が多い。JR谷山駅の周辺を歩いていると、けっこうな数に出くわすのだ。そのうちの一つを紹介する。 タノカンサァ(田の神)の像は、鹿児島県内に大量にある。18世紀頃から島津氏領内で大量…
戦国時代の島津氏の配下には、伊集院(いじゅういん)氏が多い。 島津貴久(しまづたかひさ)が分家から覇権をとって薩摩国を平定する。子の島津義久の代になると大隅国・日向国を制圧し、さらに九州全域へと勢力を広げていく。そして、島津氏は豊臣政権下に…
照島神社(てるしまじんじゃ)は、鹿児島県いちき串木野市西島平町に鎮座する。 串木野は薩摩半島の西側に位置し、東シナ海に面している。「串木野港」という大きな港がある。ここは遠洋漁業の基地でもある。その串木野港のやや南に「島平港(しまびらこう)…
テレビが壊れた。13年くらい使っていたので、たぶん寿命であろう。テレビをそんなに見るわけでもないが、なきゃないでけっこう困る。 で、買い替えをすることに。……とはいうものの、かなりの金欠なのである。とくに春先は出ていくお金も多いのだ。家計にまっ…
鹿児島県薩摩川内市の入来(いりき)の浦之名(うらのみょう)の諏訪神社を参詣した。鎮座地は山の奥深く。なんとも聖地っぽい雰囲気だった。 諏訪神社は鹿児島県内に多い。明治時代に南方神社(みなかたじんじゃ)と改称したところもある。 鹿児島県内の諏…
城野神社(じょうのじんじゃ)は、鹿児島県姶良市木津志に鎮座する。木津志(きづし)というところは、なかなかの山奥である。鎮座地は「隠れ里」という言葉がしっくりくるような雰囲気だ。 城野神社の参道口 御祭神は浄之御前(じょうのごぜん)。源為朝(…