ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

永田の田の神、顔はどうしたの?/鹿児島市東谷山

鹿児島市の南のほうの谷山(たにやま)には、タノカンサァ(田の神)が多い。JR谷山駅の周辺を歩いていると、けっこうな数に出くわすのだ。そのうちの一つを紹介する。 タノカンサァ(田の神)の像は、鹿児島県内に大量にある。18世紀頃から島津氏領内で大量…

戦国時代の伊集院一族、島津貴久・島津義久の勢力拡大を支える

戦国時代の島津氏の配下には、伊集院(いじゅういん)氏が多い。 島津貴久(しまづたかひさ)が分家から覇権をとって薩摩国を平定する。子の島津義久の代になると大隅国・日向国を制圧し、さらに九州全域へと勢力を広げていく。そして、島津氏は豊臣政権下に…

串木野の照島神社、海の守り神だけど、じつは山の神を祭る?

照島神社(てるしまじんじゃ)は、鹿児島県いちき串木野市西島平町に鎮座する。 串木野は薩摩半島の西側に位置し、東シナ海に面している。「串木野港」という大きな港がある。ここは遠洋漁業の基地でもある。その串木野港のやや南に「島平港(しまびらこう)…

中古のテレビを購入

テレビが壊れた。13年くらい使っていたので、たぶん寿命であろう。テレビをそんなに見るわけでもないが、なきゃないでけっこう困る。 で、買い替えをすることに。……とはいうものの、かなりの金欠なのである。とくに春先は出ていくお金も多いのだ。家計にまっ…

入来浦之名の諏訪神社、山深くに並立鳥居、そこは古代の聖域か?

鹿児島県薩摩川内市の入来(いりき)の浦之名(うらのみょう)の諏訪神社を参詣した。鎮座地は山の奥深く。なんとも聖地っぽい雰囲気だった。 諏訪神社は鹿児島県内に多い。明治時代に南方神社(みなかたじんじゃ)と改称したところもある。 鹿児島県内の諏…

木津志の城野神社、祭られているのは源為朝の奥方と伝わる

城野神社(じょうのじんじゃ)は、鹿児島県姶良市木津志に鎮座する。木津志(きづし)というところは、なかなかの山奥である。鎮座地は「隠れ里」という言葉がしっくりくるような雰囲気だ。 城野神社の参道口 御祭神は浄之御前(じょうのごぜん)。源為朝(…

【ゲーム】『真田十勇士』(ファミコン)、最善の策は話し合うこと

1980年代後半、家庭用ゲームではRPG(ロールプレイングゲーム)が人気ジャンルになっていた。そんな中で、ファミリーコンピュータ(ファミコン)向けに『真田十勇士』なる作品も発売された。 真田幸村(真田信繁)と10人の部下たちが徳川家康の打倒を目指す…

木津志の田の神/鹿児島県姶良市木津志

けっこう大きなタノカンサァ(田の神)だ。高さは台座を含めると117㎝。像だけでも96㎝。幅も60㎝くらいある。 鹿児島県姶良市の山間のほうに木津志(きづし)というところがある。そこで見つけたタノカンサァだ。「木津志の田の神」と呼ばれている。城野神…

川内の泰平寺、豊臣秀吉と島津義久が顔をあわせたところ

医王山正智院泰平寺(たいへいじ)は鹿児島県薩摩川内市大小路町にある。かつての薩摩国の高城郡(たきのこおり)の水引郷(みずひきごう)のうち。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉は島津氏を攻める。大軍勢を率いて薩摩国に入り、陣を置いた場所は泰平寺であ…

『古事記』は、むかしからある岩波文庫版がいいと思う

日本国内の物事を深く理解するためのヒントが、『古事記』にはたくさん詰まっている。 例えば、神社へお詣りすると、そこには神様が祭られている。「どんな神様なんだろう?」と思う。また、神話が絡んだ史跡であったり、地名であったり、といったものにも出…