ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

島津義弘の年譜、活路を無理矢理こじ開けて乱世を生き抜く

島津義弘(しまづよしひろ)の生涯を年表風にまとめてみた。……なかなかのボリュームに。とにかく戦いが多すぎるのである。 島津義弘は、島津家15代当主の島津貴久(たかひさ)の次男である。16代当主の島津義久は兄にあたる。父と兄のもとで、島津家の軍事面…

島津義弘の戦歴(3) 異国での戦い、関ヶ原からの生還

九州を席巻しつつあった島津氏だが、天正15年(1587年)5月に豊臣秀吉に屈服した。これ以降の島津義弘(しまづよしひろ)の戦いは、豊臣政権下でのものとなる。 天正15年8月から「島津義弘」と名を改める。それまでは「島津義珍(よしまさ)」と名乗っていた…

久満崎神社をお詣り、鎮座地には隼人の伝説が残る

久満崎神社(くまさきじんじゃ)は、鹿児島県霧島市国分山下町に鎮座する。ここでは、隼人(はやと)との関わりが感じられる。御祭神は大山祇命(オオヤマヅミノミコト)。そして隼人神を祀っているとも伝わる。 隼人七隈 かつては山上に鎮座 久満崎神社をお…

姶良脇元の白濱神社、参道には巨木が立ち、目の前には鹿児島湾

国道10号は鹿児島湾岸を通っている。鹿児島市と姶良市とをつなぐ主要道路である。この海沿いの道はとても景色がよい。鹿児島湾と桜島を見ながら走る。陸地側に姶良カルデラのカルデラ壁が続いている。 この道を行き来する際に白濱神社(しらはまじんじゃ)の…

島津義弘の戦歴(2) 大友・龍造寺と激突、そして天下人と対決

天正6年(1578年)から天正15年(1587年)にかけて、九州の情勢は大きく動く。その中での島津義弘(しまづよしひろ)の戦いぶりをたどる。 九州では島津・大友(おおとも)・龍造寺(りゅうぞうじ)の3つの勢力がしのぎを削る。島津氏はこの争いを制し、九州…

島津義弘の戦歴(1) 岩剣城攻めの初陣から三州統一まで

島津義弘(しまづよしひろ)は「武」のイメージが強い人物だ。その生涯は、戦いに次ぐ戦いであった。初陣は天文23年(1554年)の岩剣城の戦い。最後は慶長5年(1600年)の関ヶ原。戦いの記録は半世紀近くにもわたる。 その戦歴をまとめてみた。まずは青年期…

出水麓の「税所邸」、抜け穴があったり隠し部屋があったり

江戸時代の鹿児島藩(薩摩藩)では、外城制という地方統治の仕組みがあった。各地に武士団を配置し、その集落を「外城(とじょう)」あるいは「麓(ふもと)」「郷(ごう)」と呼ばれた。 薩摩国の出水麓(いずみふもと、鹿児島県出水市麓町)は、外城の中で…

出水麓の「竹添邸」、薩摩の武士の暮らしを垣間見る

出水麓(いずみふもと、鹿児島県出水市麓町)は薩摩国の北部に位置する。ここは肥後国との国境が近いこともあって、精強な武士団が守っていた。 江戸時代の島津家は領内に「外城(とじょう)」を設けて地方統治の拠点とした。また、有事の防衛拠点でもあった…

出水麓歴史館で薩摩武士の気風に触れる、武家町散策はまずここから

鹿児島県出水市にある「出水麓武家屋敷群」にいってきた。個人的には、かなり久々の訪問である。たぶん10年ぶりくらいだろうか。まえに来たときとは、ちょっと変わっている。新しく「出水麓歴史館」というのが出来ていた。こちらは2017年にオープンしたとの…

北山の梅北神社と下城跡、梅北国兼は叛逆者か? それとも忠臣か?

鹿児島県姶良市に北山というところがある。ここはだいぶ山深い感じだ。県道446号を走っていくと、森の中に忽然と参道口が現れる。梅北神社(うめきたじんじゃ)である。 林道の中に鎮座 御祭神は梅北国兼(うめきたくにかね)。天正20年(1592年)に豊臣政権…