ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

田布施城(亀ヶ城)跡にいってみた、相州家の本拠地、島津貴久はここで誕生

田布施城(たぶせじょう)は薩摩国田布施(鹿児島県南さつま市金峰町)にあった山城だ。別名に亀ヶ城(かめがじょう)ともいう。現在は城跡に亀ヶ城神社が鎮座している。 この城は、島津氏の分家のひとつである相州家(そうしゅうけ)の居城だった。相州家3…

黒島神社を『三国名勝図会』より、石橋の向こう側は女人禁制だった

田園風景の中に鳥居が見つかる。山の麓に黒島神社(くろしまじんじゃ)は鎮座。なんとも独特な雰囲気の神社である。場所は鹿児島県姶良市の山田地区(姶良市上名)。県道40号沿いに小さな案内看板があり、そこから小道に入って北上すると着く。 山の麓に鳥居…

鹿児島城(鶴丸城)跡の堀は、夏になるとハスの葉に覆われる!

鮮やかな緑色の中に、ピンクの花も色を挿す。水堀にはハスが群生する。夏の鹿児島城(鶴丸城、つるまるじょう)は素敵だ! 鹿児島城は慶長11年(1606)年頃に完成。鹿児島藩(薩摩藩)の政治の拠点であった。現在の住所だと鹿児島市城山町。背後にある「城山…

佐土原城跡にのぼってみた、島津家久・島津豊久が守った日向の要衝

佐土原城(さどわらじょう)跡は宮崎市佐土原町にある。別名に「田島城(たじまじょう)」「鶴松城(かくしょうじょう)」とも。日向国のほぼ中央に位置し、中世にこの地を支配した伊東(いとう)氏の拠点のひとつであった。 戦国時代末期に島津氏の支配下と…

桜島の噴火史をまとめてみた、大噴火には前兆もいろいろあるみたい

桜島は火山である。日常的に噴火している。音と空振で噴火に気づいたり、「灰はどっちに降るのかな?」と風向きを気にしたり、「車を洗ったばかりなのに」と残念がったり……というのは鹿児島に住む者にとってはよくあることだ。噴火には慣れている。恐れはあ…

藺牟田池と竜石と環状列石と、山の上の湖畔には謎がいっぱい

藺牟田池(いむたいけ)は鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田にある。直径約1㎞、周囲約4km、面積は約60ha。山上の窪地に水がたまっていて、湖水面の標高は295m。これを標高450m~500mほどの外輪山が囲む。火山活動でできた地形である。 右奥に見えるのは飯盛…

都於郡城跡にのぼってみた、堅固な伊東氏の本拠地は戦わずして落城した

曲輪群は船が浮いているようにも見える。そのことから「浮舟城(うきふねじょう)」とも呼ばれる。日向国の都於郡城(とのこおりじょう、宮崎県西都市)は伊東氏の本拠地であった。国の史跡にも指定されている。 日向伊東氏の本拠地 守りは堅いぞ 高屋山上陵…

日向伊東氏の栄華と没落、島津氏と抗争を続けて240年余

中世の南九州の歴史は、島津氏と伊東氏の抗争の歴史でもある。当ブログではおもに島津氏について記事を展開しているが、伊東氏のことももうちょっと知りたいのである。そんなわけで、伊東氏の歴史をまとめてみた、とくに島津との関りについて焦点を当てて。 …

岩窟の御陵に眠るのは神武天皇の父と母とされる、吾平山上陵を『三国名勝図会』より

吾平山上陵(あいらやまのえのみささぎ、あいらさんじょうりょう、あいらさんりょう)は鹿児島県鹿屋市吾平町にある。神代三陵(じんだいさんりょう、かみよさんりょう、神代三山陵)のひとつに数えられ、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト(彦波瀲武…

三州統一へ、伊東義祐の豊後落ち/戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃(3)

天正2年(1574年)、島津義久(しまづよしひさ)は長年の宿敵であった肝付(きもつき)氏を従属させた。大隅国を平定し、日向国南部の志布志(しぶし、鹿児島県志布志市)まで島津氏の支配下となった。薩摩国とあわせてその範囲は、現在の鹿児島県全域(島嶼…