ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

曽於末吉の檍神社、イザナギノミコトが黄泉国の穢れを落とした場所はココ?

檍神社(あおきじんじゃ)は鹿児島県曽於市末吉町南之郷に鎮座する。境内からは東方向へ視界が広がり田園風景が遠くまで続いている。この一帯は古くから「檍原(あはきがはら、あおきがはら)」と呼ばれている。 檍神社と檍原 『古事記』には、イザナギノミ…

『破天の剣』(著/天野純希)、主役は島津家久! その軍才は強烈な光を放つ

戦国時代後期の九州は島津氏が席巻する。その過程で戦功を挙げまっくたのが島津家久(しまづいえひさ)である。島津四兄弟の末っ子だ。 四兄弟の中でもっとも知名度が高いのは、次男の島津義弘(よしひろ)だ。猛将としてよく知られている。かたや島津家久の…

島津歳久、竜ヶ水に散る ~平松神社(心岳寺跡)を『三国名勝図会』より~

平松神社(ひらまつじんじゃ)は鹿児島市吉野町の竜ヶ水(りゅうがみず)に鎮座する。御祭神は碧空巌岳彦命(あおぞらいずたけひこのみこと)。島津歳久(しまづとしひさ)のことである。前身を心岳寺(しんがくじ)といい、島津歳久の菩提寺であった。 島津…

吉松の熊野神社・内小野寺跡、木崎原の戦いの前に島津義弘が戦勝を祈願した

鹿児島県北部の山間に「湧水町」という自治体がある。2005年に吉松町と栗野町の合併により発足したもので、湧水が多い地域であることから新町名もつけられている。このあたりは霧島連山の西麓に位置し、山々が蓄えた水が湧出する。湧水町内では栗野(くりの…

『島津義久 九州全土を席巻した智将』(著/桐野作人)、長兄の目線で描く戦国島津氏の激闘

島津義久(しまづよしひさ)は島津氏の16代当主である。天文2年(1533年)の生まれで、慶長16年(1611年)に没する。その生涯は戦国時代後期から徳川幕府成立期にあたる。『島津義久 九州全土を席巻した智将』は歴史作家の桐野作人(きりのさくじん)氏によ…

『島津義弘の賭け』(著/山本博文)、そして島津家は戦国時代を生き残った

島津義弘(しまづよしひろ)を知るにはオススメの一冊だ! 『島津義弘の賭け』は、16世紀末から17世紀初めにかけての島津家の事情を丁寧に掘り起こす。豊臣政権下で苦闘し、関ケ原の戦いから生還し、粘り強く交渉して本領安堵を勝ち取る。お家存亡の危機の連…

加久藤城跡にのぼってみた、大軍から城を守りきって木崎原の決戦へ

加久藤城(かくとうじょう)は宮崎県えびの市小田にあった山城である。「覚頭城」と書かれる場合もある。永禄7年~天正18年(1564年~1590年)に島津義弘(しまづよしひろ)がこの地を領有。元亀3年(1572年)の「木崎原の戦い」の緒戦は、この城であった。 …

ザビエルがやってきた、ルイス・フロイスの『日本史』より

1549年(天文18年)、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが薩摩に上陸。キリスト教を日本に布教するための第一歩を踏み出した。ルイス・フロイスの『日本史』はこの出来事から始まるのである。 『完訳フロイス日本史』(訳/松田毅一・川崎桃太、全12巻)で…

飯野城跡にのぼってみた、島津義弘が守った日向の前線基地

戦国時代の島津氏でもっとも知名度が高い人物は島津義弘(しまづよしひろ)だろう。それで、「薩摩の島津義弘」と説明されることも多く、一般的にもそんなイメージだと思われる。だが、島津義弘は薩摩国で城主になったことがない。居城は日向国や大隅国にあ…

木崎原古戦場跡にいってみた、島津義弘が10倍もの兵力差をひっくり返した

宮崎県えびの市は、島津義弘(しまづよしひろ)ゆかりの地である。ここはかつての日向国真幸院(まさきいん)にあたる。永禄7年(1564年)から天正18年(1590年)にかけて、島津義弘は飯野城(いいのじょう、えびの市原田)を居城として真幸院を治めていたの…