ムカシノコト、ホリコムヨ。

おもに鹿児島あたりの歴史を掘りこみます

清色城跡にのぼってみた

鹿児島県薩摩川内市入来(いりき)にある清色城(きよしきじょう)跡にのぼってみた。訪問日は2021年2月某日。清色城は国の史跡にも指定されているため整備も行き届いている。また、山城の麓の集落(入来麓武家屋敷群、いりきふもとぶけやしきぐん)は、昔な…

島津歳久の最期の地へ、平松神社(心岳寺跡)をお詣りしてきた

鹿児島市と姶良市を行き来するメインルートというと国道10号の海沿いの道。平松神社(ひらまつじんじゃ)はその途中にある。ここを車で通過する際に、なんだか気になるのだ。 道路から見える平松神社のノボリ旗 天正20年7月18日(1592年8月25日)、島津歳久…

島津歳久の生涯

島津歳久(しまづとしひさ)は戦国時代に南九州で活躍した人物である。生年は天文6年(1537年)、没年は天正20年(1592年)。通称は「又六郎(またろくろう)」で、法号の「晴蓑(せいさ)」、官位の「左衛門督(さえもんのじょう)」、官位の唐名である「金…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(3) 懐良親王が薩摩へ

鎌倉幕府滅亡後の権力構造は二転三転し、南北朝の争乱はまったく収集がつかない状態が続く。 rekishikomugae.net rekishikomugae.net rekishikomugae.net 引き続き「南九州の南北朝争乱」を進める。今回も『島津国史』(19世紀初め頃に鹿児島藩(薩摩藩)が…

市来の鶴丸城跡にのぼってみた

鹿児島県日置市東市来にある鶴丸城(つるまるじょう)跡にのぼってきた。訪問したのは2021年1月某日。 鶴丸城の登山道口付近 市来氏と島津氏の激戦の地 「鶴丸城」というと、鹿児島県内では鹿児島市にある鹿児島城を思い浮かべる人が圧倒的に多い。こちらは…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(2) 後醍醐天皇は諦めない

大混乱の南九州の南北朝争乱の2回目! 「南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1)」では、足利(あしかが)氏の政権樹立まで頃の南九州の状況を取り上げた。鎌倉幕府滅亡、建武政権樹立と崩壊、足利尊氏(あしかがたかうじ)の挙兵と挫折と復活劇と政権樹…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1) 倒幕と建武政権崩壊

鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代へと移り変わっていく14世紀。ふたつの朝廷の対立を軸に、状況は二転三転する。その大まかな流れについては「鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ」という記事を見てほしい。 rekishikomugae.net 戦乱は全国に広がり、九州もかなりの…