ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

市来の鶴丸城跡にのぼってみた、ザビエルの布教の記録が残る、家老は熱心なキリシタンに

鹿児島県日置市東市来にある鶴丸城(つるまるじょう)跡にのぼってきた。 市来氏と島津氏の激戦の地 城跡と寺院跡と、神社とザビエルと 来迎寺跡、市来氏歴代の墓 鶴丸城の登山道口付近 市来氏と島津氏の激戦の地 「鶴丸城」というと、鹿児島県内では鹿児島…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(2) 後醍醐天皇は諦めない

大混乱の南九州の南北朝争乱の2回目! 「南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1)」では、足利(あしかが)氏の政権樹立まで頃の南九州の状況を取り上げた。鎌倉幕府滅亡、建武政権樹立と崩壊、足利尊氏(あしかがたかうじ)の挙兵と挫折と復活劇と政権樹…

南九州の南北朝争乱、『島津国史』より(1) 倒幕と建武政権崩壊

鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代へと移り変わっていく14世紀。ふたつの朝廷の対立を軸に、状況は二転三転する。その大まかな流れについては「鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ」という記事を見てほしい。 戦乱は全国に広がり、九州もかなりの乱れっぷりであった。…

鎌倉幕府滅亡から南北朝争乱へ

14世紀の日本は混乱の時代である。鎌倉幕府が倒れ、天皇家は分裂し、足利(あしかが)氏でも内部抗争が起こる(観応の擾乱)。めまぐるしく状況が変わる。決着はなかなかつかない。ややこしくてグダグダな展開が続く。ここのところの歴史はわかりにくいので…

東福寺城跡に行ってきた、島津氏が拠点とした海辺の要塞

鹿児島市清水町にある東福寺城(とうふくじじょう)跡に行ってきた。訪問したのは2021年1月某日。現在は、多賀山(たがやま)公園として整備されている。 鹿児島で最初の島津氏居城 東福寺城は、島津氏が14世紀半ばから拠点とした城である。もともとは鹿児島…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち (3) 行賢・執印氏・蒲生氏・矢上氏・長谷場氏・英祢氏・菱刈氏

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめる。その3回目! 大隅正八幡宮の行賢 執印氏(しゅういん) 蒲生氏(かもう) 矢上氏(やがみ)・長谷場氏(はせば) 英祢氏(あくね) 菱刈氏(ひしかり) 大隅正八幡宮の行賢 行賢は11世紀末…

南九州に所領を得た鎌倉御家人たち ~鮫島氏・二階堂氏・渋谷氏・比志島氏・種子島氏 ほか~

薩摩国・大隅国・日向国にやってきた鎌倉武士は島津忠久(しまづただひさ)のほかにも、けっこういる。 鮫島氏(さめじま) 二階堂氏(にかいどう) 千葉氏(ちば) 渋谷一族(しぶや) 東郷氏(とうごう) 祁答院氏(けどういん) 鶴田氏(つるだ) 入来院…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち (2) 肝付氏・河邊一族(薩摩平氏)

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめる。その2回目は大隅の覇者となった肝付(きもつき)氏、薩摩南部を席捲した河邊一族(かわなべいちぞく)/薩摩平氏(さつまへいし)について、だ。 肝付氏も河邊一族(薩摩平氏)も島津荘(…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち(1) 加治木氏・市来氏・税所氏・禰寝氏(建部氏)・大前氏

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめてみた。南九州に根を張った大族としては、大蔵(おおくら)・税所(さいしょ)・建部(たけべ)・大前(おおくま/おおさき)などの名が確認できる。 大蔵一族 加治木氏(かじき) 市来氏(い…

鎌倉から薩摩へ、島津氏が根付く

薩摩住まいは3代目から? 4代目から? 島津氏初代の忠久(ただひさ)、2代目の忠時(ただとき)は鎌倉にあり、領国経営は代官に任せていた。 薩摩に島津氏が本格的に入ってくるのは、3代目の島津久経(ひさつね)からだとされる(諸説あり)。きっかけは元寇…