ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

東福寺城跡に行ってきた、島津氏が拠点とした海辺の要塞

鹿児島市清水町にある東福寺城(とうふくじじょう)跡に行ってきた。訪問したのは2021年1月某日。現在は、多賀山(たがやま)公園として整備されている。 鹿児島で最初の島津氏居城 東福寺城は、島津氏が14世紀半ばから拠点とした城である。もともとは鹿児島…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち (3) 行賢・執印氏・蒲生氏・矢上氏・長谷場氏・英祢氏・菱刈氏

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめる。その3回目! 大隅正八幡宮の行賢 執印氏(しゅういん) 蒲生氏(かもう) 矢上氏(やがみ)・長谷場氏(はせば) 英祢氏(あくね) 菱刈氏(ひしかり) 大隅正八幡宮の行賢 行賢は11世紀末…

南九州に所領を得た鎌倉御家人たち ~鮫島氏・二階堂氏・渋谷氏・比志島氏・種子島氏 ほか~

薩摩国・大隅国・日向国にやってきた鎌倉武士は島津忠久(しまづただひさ)のほかにも、けっこういる。 鮫島氏(さめじま) 二階堂氏(にかいどう) 千葉氏(ちば) 渋谷一族(しぶや) 東郷氏(とうごう) 祁答院氏(けどういん) 鶴田氏(つるだ) 入来院…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち (2) 肝付氏・河邊一族(薩摩平氏)

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめる。その2回目は大隅の覇者となった肝付(きもつき)氏、薩摩南部を席捲した河邊一族(かわなべいちぞく)/薩摩平氏(さつまへいし)について、だ。 肝付氏も河邊一族(薩摩平氏)も島津荘(…

薩摩・大隅に古くから住まう者たち(1) 加治木氏・市来氏・税所氏・禰寝氏(建部氏)・大前氏

平安時代以前に薩摩・大隅で大きな勢力を誇っていた氏族をまとめてみた。南九州に根を張った大族としては、大蔵(おおくら)・税所(さいしょ)・建部(たけべ)・大前(おおくま/おおさき)などの名が確認できる。 大蔵一族 加治木氏(かじき) 市来氏(い…

鎌倉から薩摩へ、島津氏が根付く

薩摩住まいは3代目から? 4代目から? 島津氏初代の忠久(ただひさ)、2代目の忠時(ただとき)は鎌倉にあり、領国経営は代官に任せていた。 薩摩に島津氏が本格的に入ってくるのは、3代目の島津久経(ひさつね)からだとされる(諸説あり)。きっかけは元寇…

『島津国史』に見る島津忠久の経歴

鎌倉時代から近世まで薩摩国・大隅国・日向国(一部)を統治した島津家。その初代の島津忠久(しまづただひさ)の足跡を、『島津国史』に沿って見ていく。けっこう記録はよく残っているものの、伝説めいたところもちらほらと。なかなかに謎の多い人物である…

隼人のこととか、秦氏のこととか

隼人はどこに行ったのか 大和朝廷の支配下に入った隼人の有力氏族はどうなったのか? 史料が乏しく、よくわかっていない。 なお、大隅の反乱(720年)以降に名が見える隼人の有力者としては、曾君多理志佐(そのきみたりしさ、か)がいる。天平12年(740年)…

隼人の反乱、そして南九州は律令制に組み込まれる

薩摩国・大隅国の歴史を、古代から平安期にかけてざっくりと書いてみる。南九州における平安時代以前の史料はあまりない。断片的にしかわからないが、そこにはいろいろなヒントがあると思う。 隼人が住んでいた 薩摩国の設置 大隅隼人の反乱 班田収授法、な…

島津忠久って何者なの?

島津(しまづ)氏の歴史は12世紀末より始まる。初代は惟宗忠久(これむねのただひさ)といった。南九州に得た所領にちなんで「島津」を名乗りとした。 島津忠久(惟宗忠久)の出自については諸説あり。確かなことはよくわかっていない。 公式発表は「源頼朝…