ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

おもに南九州の歴史を掘りこみます。薩摩と大隅と、たまに日向も。

『島津国史』に見る島津忠久の経歴

鎌倉時代から近世まで薩摩国・大隅国・日向国(一部)を統治した島津家。その初代の島津忠久(しまづただひさ)の足跡を、『島津国史』に沿って見ていく。けっこう記録はよく残っているものの、伝説めいたところもちらほらと。なかなかに謎の多い人物である…

隼人のこととか、秦氏のこととか

隼人はどこに行ったのか 大和朝廷の支配下に入った隼人の有力氏族はどうなったのか? 史料が乏しく、よくわかっていない。 なお、大隅の反乱(720年)以降に名が見える隼人の有力者としては、曾君多理志佐(そのきみたりしさ、か)がいる。天平12年(740年)…

隼人の反乱、そして南九州は律令制に組み込まれる

薩摩国・大隅国の歴史を、古代から平安期にかけてざっくりと書いてみる。南九州における平安時代以前の史料はあまりない。断片的にしかわからないが、そこにはいろいろなヒントがあると思う。 隼人が住んでいた 薩摩国の設置 大隅隼人の反乱 班田収授法、な…

島津忠久って何者なの?

島津(しまづ)氏の歴史は12世紀末より始まる。初代は惟宗忠久(これむねのただひさ)といった。南九州に得た所領にちなんで「島津」を名乗りとした。 島津忠久(惟宗忠久)の出自については諸説あり。確かなことはよくわかっていない。 公式発表は「源頼朝…

そもそも「島津」って何だ?

現在の鹿児島県にあたる薩摩国・大隅国は、島津氏が治めていた。その期間は、12世紀末から1871年の廃藩置県まで。鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府……と、武家政権の時代のすべてである。 島津氏は惟宗忠久(これむねのただひさ)より始まる。この人物が「島津」…